蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 4~6話

#04 横須賀急襲

対キリシマ・ハルナ戦。
オンナノコなキリシマが見られる最終回。たぶん。
アドミラリティ・コードに忠実である「兵器」であることの誇りと、なんでもないものに意味を見出すという無意味な行為を求める「人間」の意地とのぶつかり合いの回でもある。

「後悔……?」
「自らの選択が間違っていたと、後になって悔やむこと――だそうだ」
「馬鹿馬鹿しい。既に選択し、決定してしまった事象を、後になって否定してなんの意味がある」
「わからない。ただ、人間はたびたびそれをするらしい」


バトルの展開は、格上の相手に善戦するものの、一歩及ばないまま窮地に陥ったところで、トドメを刺そうとした相手の隙を突く――という、やっぱり王道なもの。
変形だとか合体だとか、意味のわからない超展開もあるのに、こんなにアツイのはどうしたことか。
キリシマとハルナの負けっぷりは、スポーツマンシップに則った清々しさのようなものすら感じられる。

「発射シークエンス停止――不能……。壊れちゃう、よ……私たち……」
「そんなはずはない、我々が負けるはずは……! すべてのスペックにおいて我々は401を圧倒していた……なのに……!」


もし私たちがこのシーンで心を動かされたのなら、それは「感情が理屈に勝った」証であり、私たちが心を持つ人間である証明に他ならない。
そして、人ならざる者であるはずの彼女たちもまた、私たちと同じものを持っている証明でもあるのだ。

「ハルナ……いやだ、わたしは……わたしはまだ――死にたくない!」
「そうか、これが……これが、後悔……」


#05 人ならざる者

刑部蒔絵に拾われるハルナ(とキリシマ)と、戦争がもたらした悲劇の一つとしての「少女」。

Aパートの蒔絵とハルナ(とキリシマ)のきゃっきゃウフフ具合は、第一線のギャルゲーも真っ青な神シーン。
この10分間に、このアニメのオンナノコ的魅力のすべてが詰まっていると言っても過言ではないくらい。
(さすがに言い過ぎ?)

爆発の衝撃を吸収したせいで服がなくなっちゃったらしいハルハルですが、一体それまではどんな服を着ていたんでしょう? 私、気になります!
しかし、あのやたらイカしたコートを着ているときのハルハルって妙に背高くない? 目の錯覚かな?

さて、デザインチャイルドとしての蒔絵について。
すべての科学は戦争を背景に発達してきた――と言ったら言い過ぎかもだけど、行き過ぎた科学の一つの形が「刑部蒔絵」である。
刑部藤十郎も人類の興廃を賭けた研究をしていただけだし、政府も国民を脅かす可能性の芽をできるだけ排除しようとしているだけ。
だれも悪くないのに、悲しいことは起こる。

最後に、Aパート冒頭の、イオナとマヤの概念伝達の内容について軽く。
イオナは、沈むキリシマとハルナの中に「後悔だけじゃない、わずかな満足」があったと言う。
私は、互いに全力を尽くした結果としてのスポーツマンシップ的な満足感だと思っていたのだけれど、マヤの解釈は違った。
この感性は、私にはないものだ。

「友達を助けられたからでしょう?」


#06 ともだち

蒔絵を処分しようとする政府軍と、蒔絵を守ろうとするハルナとキリシマ。
あるいは、4話で明らかになった「メンタルモデルに人と変わらない心がある」ことの立証。

蒔絵に「霧」だと知られたハルナは、自分が人類の敵であるせいで、蒔絵に拒否されたのだと考える。
それでも蒔絵を守りたい気持ちを「振動弾頭の情報を聞き出すため」と自分に言い聞かせる。
その蒔絵も、「霧を殺すための兵器を作った自分を、霧であるハルナが許すはずがない」と思い、ハルナの前にいることができなかっただけだった。

二人の思いはすれ違うばかり。
けれど、幼い少女の純粋な思いと、その行動が、二人の溝を埋める。

「いやだよ、ハルハルは友達だもん、友達がいなくなっちゃうのはいやだぁ……っ!」


イオナが助けに来るのは、ちょっとご都合主義っぽく見えなくないこともなくもない?
けれど、5話におけるマヤとの「友達を助けられたからハルナとコンゴウは満足していた」な会話が、その伏線になっていたワケですね。

「蒔絵、頼みがある。改めて私と――私たちと、友達になってくれないか」


この満足感は、もはや最終回並み。
あとはコンゴウを落とせばクリアですね!
んー、でもなんでマヤはあんなこと言えたのかな? だってマヤってさぁ……。
関連記事
category
アニメ [★★★★☆]
蒼き鋼のアルペジオ

Comment

Trackback

http://otabes.blog.fc2.com/tb.php/968-894aa2da