フラテルニテ その3(愛トゥルーエンド・シナリオ考察)

愛エンド2種類を回収し「フラテルニテ」全クリです。
エンディングを見てからすぐに記事に取り掛かってるんですが、ちょっと辛い気持ちです。

たしかに、CLOCKUPのこういうゲームに「大団円ハッピーエンド」を求めるほうが間違っている。
わかっていたけど、それでもあまりに……ね。

さて、この記事では、キーパーソンでありメインヒロインである、神村愛にスポットを当てて、シナリオを読み解いてみたいと思います。

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自由になりたい。

一周目の愛バッドエンドで、主人公の大智はそう言って愛を自分勝手に凌辱する。
そして己の欲望に忠実に生きることこそが「救い」だと気づくのだ。

他のヒロインもそうだ。
「かくあるべき」という常識や倫理といったものに抑圧されていた自分を解放したとき、それを「救い」だと感じていた。

ならば、愛はどうか。
愛はすべてを手に入れていた。
誰もが彼女の言いなりで、お金だっていくらでも稼げて、生殺与奪すら思うがまま。
なのに、彼女は救われていなかった。
それはなぜか?

(補足。愛は決して救われたいと思ってはいなかった。けれど、結果的に救われてしまったことに、彼女は気づいていた)

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「お前はかわいそうなヤツなんだよ! そういうヤツは、だれかに助けてもらう権利があるんだ!」

アニメ「電波的な彼女」第1話より)


愛はかわいそうな女の子だった。
幼いころから虐待され続け、消えない傷痕を体中に刻まれ、子供も産めない身体にされた。
その痛みから目を背けるように他人を傷つけ続けてきた。
間違いなく彼女には救われる権利があって、そして誰かが救わなければならなかった。

けれど、彼女から救いを求めるわけにはいかなかった。
自分がかわいそうだと認めてしまえば、奪われ、虐げられ、貶されながらも生き続けてきたこれまでの人生すべてを否定することになるのだから。
そして、何十人という少年少女を不幸にし、命をも奪った己の罪と向き合わなければならなくなるのだから。

彼女もまた、美桜と同じだ。
負った傷を、傷ではないと思い込むことにして、ようやく生きることができたのだ。
彼女は決して自由ではなかった。自分自身に縛られていたのだから。

「私がみんなを不幸にして、私が殺したの!」
「そんな私を助ける? 何から救うっていうの? 全部…全部私がやったのに……!」
「今更後戻りなんて出来るはずないでしょう?」


彼女の「救い」は、目を背け続けていた現実を受け入れた、ありのままの自分を赦されること。
主人公は確かに彼女を救い、彼女は過去から――自分自身から自由になった。
だからこそ、彼女は最後に自分の想いに素直になることができた。

しかしそれは、体中を切り開かれ、血を流し続けたまま麻酔が切れたのと同じ。
目が醒めたとき、彼女の心は、現実という痛みに耐えられなかったのだ。

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「かならず君を救ってみせる」


たしかに大智は愛を救った。
しかし、未来のない結末をもたらすそれを、本当に「救い」と呼んでいいのだろうか?
私にはわからない。
彼女は言った。

「私に救いはない」

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