サクラノ詩 ―櫻の森の上を舞う― What is mind? No matter. What is matter? Never mind.(過去編)

サクラノ詩も4章に突入。
心と体についての言葉遊びをサブタイトルに冠したこの章は、草薙健一郎と夏目水菜の過去のお話が語られる。

水菜ルートと言ってもよさそうだけれど、Hシーンはなし。
というか、水菜さんの声ってかわしまりのですよね。どうしてですか?
まりのさんの安定感は認める。認めるが、まりのさんの演じるキャラって、まりのさんじゃなくてもいい場合がほとんどな気がするんですよ。
私の考えすぎですか?

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「身体は穢された。だから、私の心は、私を苦しめる」
「私の心と体……。この二つっていったいなんなんだろうって、いつも思ってた」


セックスが必然的に存在するエロゲーにおいて、心と体についてはしばしばテーマとなる。
他の記事でも書いているけれど、私個人は「体というハードに、心というソフトが収まっている」というスタンスを取っている。
だから「体がなくても心がある」状態、すなわちオバケとか幽霊というものに肯定的な立場になる。

ただ、この「心と体は別のもの」という考えかた――心身二元論は、現代哲学においては古いもののようである。
たしかに、「心ってどこにあるの?」と聞かれたとき、私たちは本気で左胸を答えたりはしない。
知っての通り、私たちの意識――心は、大脳におけるニューロンの電気的活動によって生まれるものなのだから。
もちろん脳も体の一部なので、すなわち心と体は同じもの――心脳一元論と呼ばれたりするらしい。

「心は、身体じゃない。身体は、心じゃない」
「だけど、心は身体だし、身体は心だ」
「違っていながら、同じものだ」
「言い方の違い。あるいは行き違いの言葉。そんなもんさ」


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結局、水菜がこの心身問題をどう結論づけたのか語られることはない。
心と体は同じものだとわかっていながらも、人はなぜか「そこに心がある」と感じてしまうのだという。
心を感じられることが、幸福そのものなのかもしれない。

シナリオ的な山場についてのコメントはしないけれど、水菜さんがオランピアのモデルをする一枚絵はなかなかにステキでした。
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