涼宮ハルヒの憂鬱 23~25話

--- 23話 涼宮ハルヒの溜息IV ---
文化祭に向けて映画を撮る話その4、オープニングなし。
冒頭でいきなりみくるカッター実装。
その後、映画撮影を口実にハルヒに池に突き落とされたり、一服盛られて濡場を強要されたり、さして意味もなく叩かれたりするみくるを見かね、キョンがハルヒに怒る。
思えば過去23話中、キョンはハルヒに呆れはしつつも本気で怒ることは初めてだ。

ハルヒの心中はほとんどその行動でしか語られないため、よくわからない部分はある。
しかし「みくるちゃんは私のおもちゃなの!」「私は団長で、監督で、とにかく反抗は許さないから!」発言は言い過ぎだろう。
もちろん本心とも思えないし、言葉の綾なのはキョンもわかっていたはず。
本当に団員を自分にとって都合の良い道具、おもちゃとしか見ていなかったら、そんな面子と1万何千回と夏休みを繰り返すはずがない。
しかし、だからといって看過していいものでもない。
キョンはやるときはやるやつだった。

小泉は、ハルヒが望む世界を現実世界に適用しないのは、それが彼女が常識人だからだと言う。
であるのに、この映画撮影に関してその常識のタガが外れかけているのは、自分の理想を映画というフィクションのなかに描写することで、理想を実現しようとしているからだと分析する。
だから、現実ではありえないみくるビームが実装されたり、みくるに対して辛く当たったりするのだと。

キョンに怒られて沈むハルヒは、自分の理想が否定されたと思った。
もっと有り体に、可愛らしく言えば、嫌われたと思ったに違いない。
しかし、キョンの「映画、絶対成功させようぜ!」発言でそうではないことを知り、自分のやり方を反省し、映画に対する情熱をさらに燃やしてゆく。

ハルヒとキョンのお互いの認識が変化を迎える、ある種ターニングポイントのような回である。

--- 24話 涼宮ハルヒの溜息V ---
文化祭に向けて映画を撮る話その5、オープニングエンディングなし。
ハルヒの映画に向ける情熱はさらに燃え上がる。
現実世界を浸食しつつあるフィクション要素をどう食い止めるか。
さらに小泉とみくる、有希のハルヒに対する見解の相違が明らかになる。

小泉にとってのハルヒは、いわば神あるいは天使のような存在らしい。
ハルヒの力は、ハルヒの望む世界にするために備わっているか、あるいは神が創造した世界の綻びを修正するために備わっていると。
対して、みくるにとっては、世界の開拓者のような存在のようだ。
超常は元からそこにあるが、それを他者に認識させる役割としての力が、それである。
有希にとっては…自律進化の可能性うんちゃらで、よくわからん。

フィクションが現実に流出しないようにするためには、ハルヒに「この物語はフィクションで、現実とは何も関係ありません」とナレーションさせることだった。
夢オチよりは気の利いたアイディアだね。

ラストの、実はSOS団員が宇宙人や未来人や超能力者なんだけど?っていうカミングアウトはなんだったのだろうか。
映画撮影の後遺症がハルヒの常識に影響を与えてないか量ったとか?
もしくは、有希が言った「自分には、ハルヒに自分の力を認識させないようにする役割がある」という言葉が本当かどうか試したのか。
とかく、幸せとは失ってから気付く類のものなのであった。

--- 25話 朝比奈ミクルの冒険 Episode00 ---
20~24話で作った映画そのもの。
映画シーンは画面比4:3だし、自主制作映画な感じが良く伝わってくる。

これだけ観てもはぁ?っていう印象は出てしまうが、涼宮ハルヒシリーズの1つだと思うとこれはこれでなかなか面白い。
キョンのナレーションがいい味を出していると思う。
しかしハルヒはいつのまに主題歌なんて作っていたのだろうか。
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