輪るピングドラム 考察

愛の物語。

ピングドラムとは、愛に生きて愛に死ぬ想いそのもの。
作中で「リンゴ」として描かれていたのは、ピングドラムで生き抜いた魂が神様から愛され、授かった命のこと。
  「つまり、リンゴは愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもあるんだよ」(1話冒頭、24話末尾)

そして「輪るピングドラム」は、その愛そのものでもある命を輪す(輪廻させる)ことで生きようとする(生存戦略を行う)少年少女の物語。

人は誰かに選ばれ、愛されなければ生きることができない。
誰にも選ばれないと「こどもブロイラー」や「箱」といったものの中で死んでしまう。
  「この世界は選ばれるか選ばれないか。選ばれないことは、死ぬこと」(20話、幼少期陽毬)

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1つのリンゴを巡る物語は、10年前のKIGAから始まり、運命の至る場所で終わる。
リンゴの分け合い方はとてもわかりやすい画像があったので、これを見れば一目瞭然。
penguindrum_apple.jpg


補足は二点だけ。
一点目は10年前のリンゴの発生について。
高倉冠葉(当時は夏芽冠葉)は、双子の妹真砂子と弟マリオの身代わりとなって全てを捨て、夏芽父と共にKIGAに残る。
父に愛されなかった冠葉は晶馬と共に「箱」の中で愛に飢え、死にそうになっていた。
  「冠葉、やっぱりお前じゃだめだ。お前を選ぶんじゃなかった。私は家族に失敗したよ」(21話、夏芽父)
  「あそこは美しい棺。私はそのことに気付かない子供だった。
   冠葉、あなたは私とマリオさんをその影から救い出してくれた。陽の当たる世界に」(22話、真砂子)


神様は冠葉の兄弟愛に、ご褒美としてリンゴを授ける。
  「冠葉は選ばれたんだ」
  「選ばれた? 誰に? 何に?」
  「生き残るのは冠葉だ」
  「わかった。悪いな、これが運命なんだ」(24話、晶馬と冠葉)


冠葉はその運命の果実を晶馬と分け合い、二人で生き延びる。
  「運命の果実を一緒に食べよう」(24話、冠葉)

生き延びた高倉晶馬は、誰からも選ばれなかった子供、陽毬に出会う。
そして晶馬は「こどもブロイラー」に送られた陽毬を選び、運命の果実を分け合って生き延びさせる。
  「さようなら、何者にもなれなかった私」
  「行っちゃだめだ! 一緒に帰ろう。僕と一緒に。僕たちは家族になるんだ」
  「どうやって? 私はあなたの家族じゃないよ」
  「平気さ、僕らには魔法がある。運命の果実を一緒に食べよう」
  「選んでくれて、ありがとう」(19話、陽毬と晶馬)


同時期に夏芽父が死に、冠葉は高倉家に引き取られ、冠葉と晶馬と陽毬は三兄弟になる。
父を失い絶望しかけていた冠葉は、陽毬と出会って彼女を守ることを誓う。
絆創膏を張ってくれた陽毬の優しさに、自分が存在することを許されたように感じたのではないだろうか。
  「人はね、光が必要なんだ。そして彼はようやく見付けた。光を、希望を。
   それだけが彼の生きる意味なんだ」(24話、眞悧)


そしてその10年後、眞悧のゲームが始まる。

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もう一点は乗り換え後の世界について。
晶馬は、乗り換えの呪文を唱えたことで呪いの炎に焼かれるはずだった苹果の身代わりになる。
  「これは僕たちの罰だから。ありがとう、愛してる」(24話、晶馬)

神様は晶馬の苹果への想い、ピングドラムに対してご褒美としてまた新たなリンゴを授ける。
そして晶馬はその運命の果実を再び冠葉と分け合う。
エピローグにチビになった二人が出てきたけれど、二人は陽毬と苹果のいる世界にはいない。
  「呪文を使うと君が代償を払うんだ。
   君が呪いの炎に焼かれて、世界の風景から消えちゃうよ?」(24話、眞悧)
  「ねぇ、僕たちどこ行く?」
  「どこ行きたい?」
  「そうだな……じゃあ……」(24話、乗り換え後の冠葉と晶馬)


眞悧は言う。
  「君たちは決して呪いから出ることはできない。
   僕がそうであるように。箱のなかの君たちが何かを得ることなどない。
   この世界に何も残せず、ただ消えるんだ。塵一つ残せないのさ。
   君たちは絶対に幸せになんかなれない!」(24話、眞悧)


けれど、陽毬は言った。
  「信じてるよ。いつだって一人なんかじゃない。
   忘れないよ、絶対に。ずっと、ずっと――愛してる」(24話、陽毬)


二人はどこに向かったのだろうか。
二人の想いはちゃんと陽毬に残っている。
その後のシーンで、陽毬のベッドに吊されていた天使が描かれていた。
勝手な想像だけれど、陽毬が子供を産んだら双子が生まれそうな気がするなぁ。

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「運命」とはリンゴのことであり、「運命の人」とは運命の果実を分け合ったもの同士のことを言う。
だから厳密に言うと「陽毬にとっての晶馬」「晶馬にとっての冠葉」「乗り換え後の冠葉にとっての晶馬」しか「運命の人」は存在しない。

しかしピングドラム=リンゴではない。ピングドラムは愛そのものなのだ。
だから最終的に「陽毬にとっての冠葉と晶馬」「冠葉にとっての陽毬と晶馬と真砂子」「晶馬にとっての冠葉と苹果」「苹果にとっての桃果」「ゆりにとっての桃果と多蕗」「多蕗にとっての桃果とゆり」「真砂子にとっての冠葉とマリオ」「桃果にとっての全員」という複雑な相関図が出来上がる。
そして、全ては10年前の冠葉の運命の果実と、16年前の世界を救おうとした桃果のピングドラムから始まったのだ。
これがピングドラムが輪っているということなのだろう。

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「運命の至る場所」とは、16年前のピングフォースの起こしたテロに対する神様の罰が、神様の思惑通りに執行された場合の世界のこと。
眞悧も桃果もその結末を知っていて、眞悧は謎のアンプルで、桃果は日記の呪文で干渉することができる。

23話までの冠葉は、リンゴがなくても生きていける世界を作ろうとしていた。
選ばれないと生きていけない世界なんて間違っている。
そもそも選ばれない子供がいる時点でおかしいんだ。
だからそんな間違った世界なんか壊してやる。そういうことだと思う。
  「この理不尽で不公平な世界は終わる。陽毬の命は救われるんだ。
   この世界は俺たちに絶対に実りの果実を与えたりしない」
(23話、冠葉)

対する晶馬は、きっと苹果と一緒だ。
罰を運命として受け入れて、なおどうするか。
  「悲しいことも、辛いことも、無駄だなんて思わない。
   それが運命なら、きっと意味がある。私は受け入れて強くなるよ」(18話、苹果)
  「これが僕たちの運命だったんだ。君も、僕たち兄弟も、過去に呪われてるんだ。
   やっとわかったよ。あの時僕たちが出会った理由が。このときのためだったんだ」
  「僕たちの愛も、僕たちの罰も、みんな分け合うんだ。
   これが僕たちの始まり。運命だったんだ!」(24話、晶馬)


これは愛に飢えた子供たちの物語。
  「でも世界中のほとんどの子供たちは僕たちと一緒だよ。
   だから、たった一度でもいい、誰かの愛しているっていう言葉が、僕たちには必要だった」
  「例え運命が全てを奪ったとしても、愛された子供はきっと幸せを見付けられる。
   私たちはそれをするために、世界に残されたのね」(24話、多蕗とゆり)


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二周目を回しても、正直細かな部分はいまいちピンと来ていない。
特に眞悧と桃果の思惑のあたり。
ものすごく奥の深いアニメだ。

「きっと何者にもなれない」。なぜならリンゴを半分しか持っていないのだから。
それは、誰からも必要とされなかったということの裏返しか。
あるいは社会の歯車ではない「本当の自分」を必要としてほしいということなのかもしれない。

正直に言って、最終回ではだだ泣きしてしまった。
運命の果実ではないにせよ、私はきっと何かを丸ごと一個持っている。
彼らにはその欠片でさえも欲しくて堪らなかったのに、私はこの重さに耐え切れそうもない。
せっかく丸々あるのだから、誰かと一緒に食べたりしてみたい。

このアニメはサブタイトルの入れ方に始まる雰囲気作りが神すぎる。
リアリティを削ぎ落としてシナリオに集中させようとする姿勢も好ましいね。
そしてそのシナリオがやたらめったら重くて深い。
余裕であと二周は楽しめそうだ。

一周目は内容の理解が浅く★4評価で止まってしまったけれど、二周目を経て神作認定★5評価です。
2クールもので長いけれど、最低でも後半は一気に見たい。
でないと訳がわからないことになりそう。
ところで桃果ちゃんが良い子すぎるです。あの子は普通の人間じゃない!
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